26.『相対性幸福論』

まだ、病んでる。
が、ちょっと浮上している気がする。
いや、わかんないけど。

これ、途中で転調してる?
ははは。
記憶がないのは仕方ないが、
曲を実際に聴いていて、転調してるのかどうか
わからないボクは、なかなかボクらしい。

大丈夫、こんな人が曲を創ってるんですよ。
ちょっとでも興味がある人は創ったらいいですよ。
ボクよりも絶対に良いものを創れるから。

さて、『相対的幸福論』
「相対的」な「幸福論」ではなく、
「相対的幸福」の「論」です。
どうでもいいけど。

「禍福は糾える縄の如し」ということわざがありましたね。
今、思い出しました。
そのままですね。
それを曲にする意味があったのだろうか、今思ふ。

まぁ、そんなもんか、世の中の曲なんて。

だから、説明なんていらないですね、今回。
いや、いつも説明なんてしていないじゃないか、というツッコミはなしの方向で。

ボクは、どちらかと言えば、
幸も不幸もない方がいいなぁと思っている。
幸せだけなら、いいんだけど、そうじゃないから。

ところで、この曲、なぜ途中で音量が小さくなっているのだろう。
これ、きっと意図的じゃない気がするんだが、意図的だったんだろうか?
教えてください、その時のボク。

でも、意図的なら、なぜあの場所?と思うんだが。

さて、このブログの意味を見失ってしまっているSSSです。
最初は、曲について書こうと思ってたんだけど、
やり始めてわかったことは、ほんと記憶が欠如してるってこと。
曲について語れない。

まぁ、別に、ボクのブログだからいいんだけどさ。

「得ていたものを失うことは不幸せなことですか?」
ボクは「はい」と言ひたい。
いや、ほんとショックですよ、失うって。

「ならば何も得ることができないままの方が幸せなのですか?」
と問われると、返事に困るよね。

結局、幸せを思い返すためには、どうやったって時間が必要だということ。

「時間がお薬」という歌詞の歌があったような、なかったような。
ほんと、そうですよね。
そして、時間が経っていない人がこの「ことのは」を聴いたら、不快だろうなぁ。
そう考えると、何かを公表するというのは、
どこかで人を傷つけていることになるかもしれませんね。

『相対的幸福論』

Vocals by 初音ミク
ことのは/おといろ:SSS

得ていたものを失うことは
不幸せなことですか?

ならば
何も得ることができないままの方が
幸せなのですか?

届かない夢を見続けることは
不幸せなことですか?
ならば
初めから夢など見ないでいる方が
幸せなのですか?

想い出だけが残ってしまうのは
不幸せなことですか?
ならば
初めから想い出をつくらなければ
幸せなのですか?

相対的な幸福論
全ては相対的に決まってく
絶対的なこの論理
全ては絶対的に決まってる

幸せのないところに不幸せはなくて
幸せのあるところに不幸せもある

幸も不幸もないことが本当の幸せ?
幸も不幸もあることが本当の幸せ?
幸も不幸もあることが本当の幸せ
だから不幸を恐れるな

得られないものを眺めることは
不幸せなことですか?
ならば
眺めることすら許されない方が
幸せなのですか?

いつか会えなくなってしまうのは
不幸せなことですか?
ならば
初めからあなたに出会わなければ
幸せなのですか?

感情的な幸福論
全ては感情により決まってく
論理的なこの結論
全ては論理的に決まってる

幸せだけが存在することはなくて
不幸せだけが存在することもない

幸も不幸もないことが本当の幸せ?
幸も不幸もあることが本当の幸せ?
幸も不幸もあることが本当の幸せ
だから不幸を噛み締めろ

幸福と不幸は表裏一体
相対的幸福論

幸せのないところに不幸せはなくて
幸せのあるところに不幸せもある

幸も不幸もないことが本当の幸せ?
幸も不幸もあることが本当の幸せ?
幸も不幸もあることが本当の幸せ