曲の創り方に「詞先」と「曲先」というのがある。
先に歌詞があって、それに曲をつけるのが詞先。
先に曲があって、それに歌詞をあてるのが曲先。
最近は曲先が多いらしい。
ボクは曲先ではない。
ボクの体は曲線の方が多いけど。
なぜなら、ボクの中に音楽がないから。
鼻歌も歌えない。
フンフーンとやったら、それが作曲なんだ、とか本に書いてたりする。
そもそもフンフーンなんて出てくるのならラクなものだ。
好きな曲を歌うのは好きだけど、それ以外のものは何も出てこない。
だからボクは詞先なんだけど、本当に詞先というと、それもよくわからん。
先に歌詞を全部創るかというと、まったく創らない。
とりあえず、浮かんだ言葉を綴る。
綴るというか、ミクに歌わせる。
全部「ド」で歌わせる。
全部「ド」でもいいのではないか?という考えと闘う。
やっぱり、それじゃいけないか、と考え直す。
けど、ボクの曲は、全部「ド」でいいかという曲は多い。
特にBメロとかCメロ(Dメロというのか?)。
で、とりあえず、一文字、音程を変えてみる。
こっちも変えてみる。
いっそこっから全部上げるか?
と、いじってみる。
いじってるうちに、しっくりくるところに落ち着く。
こうやって書いていくと、ボクは曲を創ってないよね。
勝手にできてるだけで。
ここまでは詞先と呼ぶのだろうか?
呼んでいいよね。
そして次だ。
まぁ、だいたい普通は同じメロディで繰り返すよなぁ、と考える。
じゃ、このメロディに合わさないといけないよなぁ、と続きの歌詞を考える。
この時点で曲先に変わる。
だって、合わさないといけないんだもん。
ただ、ボクのこだわりとして、「文字数だけが合えばいい」とはしたくない。
6文字なら「きみのえがお」でも「とうもろこし」でもいい。
しかし、たとえ醤油をかけて、いい具合に焼けて、おいしそうな香りがしてこようと、
「とうもろこし」は選べないのだ。
そしてBメロに入った時に「ボクは自由だ!」と叫び、歌詞を考える。
まぁそんな具合で創るので、詞先と呼ぶのか、曲先と呼ぶのか、
いやむしろ、それは作曲なのか?という根源的な問題にもつながってくる。
ボクは、ボクの紹介にボカロPと書いていて、作曲家と書いてないから、いいかな。
「ことのは/おといろを創る人」って書いているし。
まぁ、そんな様々な制限と闘いながら、曲を創ってきた(「曲を創ってきた」って書いちゃってるじゃん)。
これが一般なのか、異質なのかわからんのだけど、ずっとそうやってきた。
急に話が変わるが、ボクの尊敬する、ぶうちやん(うω・`)という方がいる。
ニコ生主だ。
素敵な人だ。
そしてボクを発見した人だ。
何なら命名権をあげてもいい。
で、ぶうちやん(うω・`)が10周年だということで、曲をプレゼントした。
それがこちら。
ちょっと気に入らないところがあったので、修正したのだが、
修正する前の曲を使ってしまって後悔している。
この曲は、ぶうちやん(うω・`)のブログに書いている文章を元に創ったんです。
これには自分でも驚いた。
もちろん、曲を創るために書いてるわけじゃないから、文字数なんて意識してないわけだ。
それを曲にできてしまったのは、ボクのこれまでの曲の創り方が、こんな感じだったからなのではないか、と思う。
もしかしたら、ぶうちやん(うω・`)の文章が、無意識にリズムをとっているのかも。
コメント
作曲の順番は人それぞれ色んな順番があると言われてますが、SSSさんはその中でもかなり独特の方法で作っているんですね!
目から鱗でした。僕はこれまで曲先が4曲、詩先が1曲ですね。
あとSSSさんの曲は歌詞に引きつけられたんですけど、ブログの文章も言葉の紡ぎ方にセンスがあって、小説を読んでいるみたいで楽しいです!
あれ?ボク、かなり独特な方法だったんですか?
いや、やっぱり、そうなのか?
薄々感じてはいたが・・・(笑)