ヒトがヒトであるための条件は自分の選択が本当に良かったのか考え続けることではないかと思ふ

Twitterにあげた言葉をそのままタイトルにしてみた。

ヒトは不完全な存在だ。
どうやったって、完全な存在にはならない。
ボクなんて、不完全な存在としては完全であるとも言える。

ボクは、いつも自分の選択が正しかったんだろうかと
悩んでいる。

ボクは、ちょっとだけ他の人と比べて
おかしいらしい。

「ちょっと」といふのは、主観だ。

最近、忙しくて、ちょっと自分でも心配している。
自分がおかしくなってないか心配になったので、
「ボクがおかしなことを言いだすようになったら、教えてね」
と言ったところ、
「そんなん、いつもじゃないですか」
と言われた。

なるほど・・・

さて、そんなボクだから、
友だちがいなひ。

これが、冗談でもなんでもなく、0人だ。

特に困ってはないけど。

まぁ、友だちの定義もよくわかんないけど。

だから、誰かがボクから離れていっても、
それは特に困らない。

ただ、離れてしまった原因が問題だ。
仮に、ボクがその人に対して嫌な想いをさせてしまったのであれば、
非常につらい。

単に飽きられただけであれば、どれだけ幸せなことか。

そんなわけで、ボクは自分の行動が、自分の選択が、
本当にそれでよかったのかとよく考える。

皆さんはどうなんでしょうか?

「ことのは/おといろ」を創っているときも、
別にそれが聴かれないことに関しては
あまり興味がない。

いや、聴いてほしいんですよ、もちろん。
ただ、聴いてもらうことを目的にはしていない。

このブログも、読んでほしいんですよ、もちろん。
ただ、読んでもらうことを目的にはしていない。

あれ?話がずれてきてないか。

で、いずれにせよ、ボクの生み出したものが、
誰かを傷つけたりすることだけは嫌だと思ふ。

そんなことになったら、ボクはボクを許せないんだ。
けど、きっと、不完全なボクは、いろいろな問題を
起こしているんだろうと思ふ。

ボクの「ことのは/おといろ」は、
他の人へのメッセージの場合は、ポジティブだが、
自分のことを表す場合は、ネガティブが多い。

『ボクの4割は嘘でできている』や、
『僕にきれいな言葉をください』や、
『決定的にヒトに向いてねぇ』や、
『何匹ものボクを殺しながら』など。

タイトルだけ並べると、すごいね(笑)

なんとなく思い付いたまま書いたTwitterをタイトルにしたばっかりに、
よくわからん文章になってきた。

ボクの「ことのは/おといろ」創りと同じパターンに嵌ってるなぁ。

ボクが生きていることが許されるためには、
ボクの選択がよかったのか、
ずっとずっと考える続けるしかないのだと思ふ。

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