46.『才能判定機』

共感される方が多かった「ことのは/おといろ」。
実は、ボクの中で、結構好きなんですよね。
はっきりと創ったことを覚えている。
もう、心の叫びですよね。
作曲している人間からすれば。

ボクには才能がないことが分かっているんだが、
それでも、なぜボクは「ことのは/おといろ」を創り続けてるんだろうか。
その答えみたいな「ことのは/おといろ」です。

才能といふものは、絶対的に存在する。
もちろん、才能なんてのは、努力に努力を重ねて、
トップレベルに立ったときに初めて、
才能の差が出るものだと思ふ。

努力も重ねずに、底辺にいる者にとって、
才能なんて、どうでもいいんですよね。

だから、ボクに才能があるかどうかなんてことは、
本当はどうでもいい話。

さて、この「ことのは」ですが、
ボクにしては、なかなか凝ってると思ふ。

まず情景から入る。
珍しい。
ボクの「ことのは」には、背景が入っていないことが多い。

そう、ボクの興味は、どこまでいっても人なんだ。
そして、ボクの興味は、どこまでいっても心なんだ。

だから、それが、いつの話でも、どこの話でも、
あまりどうでもいい。

まぁ、歌詞の創り方なんて本には、
風景から入るように書いてることが多いから、
たぶん、それをしないから、
ボクの「ことのは/おといろ」は聴かれないのだろう。
だから、情景から入っているこの「ことのは/おといろ」は、
・・・
いつもと同じく、そんなに聴かれない。

おかしいじゃないか。

1番では、どれだけがんばっても、誰にも聴いてもらえないことを
憂いているわけですよね。
2番で、誰かに聴いてもらうように変わっていくわけです。
ちなみに、
「耳障りだけがいい 騒音」
という「ことのは」はなかなか、いいなぁ。

「借り物の言葉」「偽物のメロディ」も
いいですねぇ。

で、才能判定機という新商品ができるわけです。
才能判定機で、自分に才能がないことがわかる。

才能がない音楽をやめて、才能があると言われたもので、
生きようと思う。
才能があるだけに、結果がついてくる。

でも、それでは虚しいだけで。

結局、才能があろうが、なかろうが、
やっぱり自分の心が求めるものを、
たとえ、誰にも聴いてもらえなくても
続けることの方がいいんじゃないか?ということ。

あれ?いいこと書いてない?これ。

この曲、結構いいこと書いてる気がする。
ただ、ボクは才能判定機が商品化されないことを望む。

『才能判定機』

Vocals by 初音ミク
ことのは/おといろ:SSS

才能の有無がわかるならば…

蒼い月あかりを浴びながら
音を奏で続けていたのに
いつのまにか 空 明るくなり
始発電車の音が響く

かじかみ 感覚のない指で
ギターをかきならしていたのに
いつの間にか 桜 舞い散り
パステルカラーの服 あふれる

どれだけ音を紡いでも
誰の鼓膜も震えない
どれだけ声をからしても
誰の心も動かない

才能の有無がわかるならば
この苦しみから解放される
才能がないことがわかれば
無駄な努力をしなくてすむのに

伝えたい想いがあふれだし
言の葉を紡いでいたのに
いつの間にか
伝えたくもない 言葉が積みあがっていく

心に響くメロディ求め
音を重ねていたはずなのに
いつの間にか
耳障りだけがいい 騒音が生まれてくる

聴かれることを目的に
借り物の言葉を並べ
みんなが望む流行に
近づく偽物のメロディ

才能の有無がわかるならば
この苦しみから解放される
才能がないことがわかれば
無駄な努力をしなくてすむのに

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アナタに音楽的才能は
ない・ない・ない・ない・ない・ない

才能の有無がわかってからは
穏やかな日々が続いている
才能がないことがわかって
無駄な努力もしなくてすんでる

才能があると言われたことは
たしかにすぐに結果がでたし
才能がない音楽に
取り組んでいたときよりストレスなく

それなのに なぜ
空しさだけが心を満たしていくのだろうか
それなのに なぜ
気が付くと言の葉を紡ぐ 自分がいるのかな

才能がないことと
戦ってやろうじゃないか
歌が好きなんだ

才能がないなんて
どうだっていい
心が求めるのだから

心が求めるのだから

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