Adoさんの『新時代』の違和感について共感されなかった件

どうしても気になったからブログに書いてみる。
念のために書いておきますが、『新時代』を否定するためのものではありません。
そういう意図では全くありませんので・・・

最近、映画の影響で、色々なところで『新時代』が流れている。
聴こえてくるたびに同じことを感じるのです。

この曲を初めて聴いたときの衝撃。

最初の部分、2回目の「変えてしまえば」の「ば」です。

初めて聴いたときに、「そこ?!」と思ったわけです。
非常に気持ち悪い。
ボクの感覚では、あと半音上ぐらいにいくんじゃないの?と思ったんです。

別に、それが間違っているとか言いたいわけじゃありません。
中田ヤスタカさんが創られたらしいんですが、中田ヤスタカさん、すごいところに持っていったな、というのが正直な感想です。
そして、何度聴いても、聴くたびに、違和感を感じてしまうのですが、なるほど、たしかにこれもありなのか、という感じです。

ボクは最近「ことのは/おといろ」を創ったりしていますが、何度も書くように、音楽に触れてこなかった人間なので、正確な音楽的な知識がないわけです。

だから、この違和感がスケールの関係とかだろうぐらいにしかわかっていません。
Cメジャーだとドで終わるのが一番落ち着く、とかいうやつです。

で、この曲を聴いて、この曲のスケールが何かとか、そもそも、あの「ば」がドなのか、ソなのか、聴いただけでわかる能力を持っておりません。
だから、音楽理論的にどうこうと言えないのですが、単純な感覚の問題なんですよね。

逆に、単純な感覚の問題だからと思って、初めて聴いたときに、近くにいた人に、伝えたわけですよ。

そしたら、
「そう?別に気にならないけど」
という返事。

そこでまた衝撃を受けたわけです。

えっ、気にならないの?

勘違いで攻撃されたくないので、何度も何度も書きます。
ボクはそれがダメだと言っているわけじゃないですよ。
なかなか攻めてるなと思ったし、なるほど、こんなのもありなのか、と思ってます。

が、気にならないなんてことがあるのか?

と思って、その後も、その曲を聴いたときに、近くにいる人に伝えてみたんですけど、みんな気にならないって。

そ、そうなのか・・・

ということで、別にだからどうこうという話でもないのですが、ずっとモヤモヤしているので、ここに書いてみました。
いやぁ、音楽って奥が深いですね。

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