「誰が言ったのか」問題

世の中には、色々な言葉が溢れている。
世の中には、色々な曲が溢れている。

だうも、言葉と曲が飽和している世界で、
ひっそりと生きているSSSです。

自分の創った曲を、聴いてもらえないことに、
やるせなさを感じている人もいるのではないでしょうか。
こんなに良いものなのに、なぜ。
あの有名ボカロPの曲よりも、自分の曲の方がいいと思うんだけど。

実際、誰もしらない人が創った曲でも、
すごいものがある。
当然である。

ボクも、ボクのことを見つけてくれた人の曲を聴いたりする。
素直に感動する。
こんな素晴らしい曲を創れる人が、全然知られていないんだ、と。
そりゃ、ボクの曲を聴いてくれる人がいなくて当たり前だ。

で、誰も知らない人が、たまたま、偶然、
有名ボカロPと同じ曲を創ったとしよう。
盗作ではなくて。
どちらが聴かれるか。
当然、有名ボカロPの曲が聴かれる。

じゃ、
誰も知らない人が創った「これはすごい!神曲だ!」というものと
有名ボカロPが創った「あのボカロPにしては、ちょっとイマイチじゃない?」というものと、
どちらが聴かれるか。
やっぱり有名ボカロPの曲だ。

すっごく共感できる、この世の真理を見出したような歌詞を無名の人が創った。
どうでもいい、まぁ、そういえばそうだよねぇ、ぐらいの歌詞を有名ボカロPが創った。
どちらが評価されるか。
当然、有名ボカロPだ。

つまり、「誰が言ったか」「誰が創ったか」が問題だ。
もちろん、有名か無名かなんて、作品に関係がない、良いものは良い、と
思っている人もいる。
実際に、ジャングルの奥地の洞窟の奥深くの石棺の中の宝石箱の裏の壁の隙間に存在するボクを見つける人も
たまにはいる。
でも、大多数の人はそうじゃない。

有名であることは、保証だから。

そんなのはおかしい。
そういう考えは正しい。
でも、それがリアルだ。

なんで、あれが有名になってるんだ?
あれのどこがいいんだ?
と言ってみたところで、キミは有名にはならない。

じゃ、どうするんだ。
良いものを創る、それはまぁ、当たり前なんだが、
結局、知ってもらわないといけないんだよね。

なんなら、良いものを創る以上に、
知られることが大切なのかもしれない。

ボクはあまり有名になることを目的にしていなかったけど、
最近、ちょっと違うかな、と思ってきた。
自分が届けたいことを届けることも必要なのだろう、と。

まずは、動くことだ。
動かなきゃ、何も変わらない。

有名になろう。

ボクの想いを届けるために。

そう思いながら、
ボクは
ジャングルの奥地の洞窟の奥深くの石棺の中の宝石箱の裏の壁の隙間で眠りにつく。