自分らしさを放棄するな

自分らしさを放棄してはいけない。

いつだったか、こんなコメントを見た。
「いくつかの曲をUPしているうちに、
 自分の曲のこういうところが好かれていることが
 わかった。その自分らしい部分を伸ばしていきたい」

ボクの記憶だから、正確な言葉は覚えていないが、
そういうニュアンスのコメントだった。

なんだそれ?と思ふ。

きっと、もっと聴いてもらうために、
もっと自分の曲を好きになってもらうために
正しい分析なのだろう。

あぁ、正しい分析なんだろう。

それならば、「自分らしさ」なんて言葉を出すな、と思ふ。

他の人がいいなと思う、自分の良いところ。
そういうところはもちろんある。

ボクにも、他の人から見て、いいなと思う部分がある、
に違いないと信じたひ。

自分らしさってなんだ。
自分らしさって、他の人が決めるのか。
他の人がいいと思うところが、自分らしさなのか。

違うだろ。
自分らしさって、自分であることだろ。
自分が、自分として、自分のあるべき姿を選ぶ。
それが、自分らしさだろ。

他の人がいいと思うものを追い求めるなら、
自分らしさなんて出しちゃいけない。
他の人がそこは理解できない、そこはあまり好きじゃないという自分。
それでも、それは自分が好きで、自分としては、そうしたい、
そう思う部分も自分らしさだ。

自分らしさの中の、
人の好かれる部分だけを取り上げて、
人に嫌われる部分を隠すのは、
自分らしいと言えるのか。

ボクを見ろ。
人に聴いてもらえなくても、
あの曲はよく聞かれるから、あの曲に似せようなんてしない。
いや、しようと思ってもできない。
できないんだよぉ。

いやいや、ちょっと趣旨が変わってきた。
そうじゃない。

自分はこう思うんだ。
自分の中のドロドロもキラキラも
どれもが自分らしさだ。

キミが仕事で曲を創るのならば、
自分らしさなんて出してる場合じゃない。
全く自分らしくなくても、売れる曲を創らねばならない。

ボクは仕事じゃないから、
売れなくてもいい。
ボクだって、いつだって売れる曲を創れる、
と言えるようになりたいと思っているが、
実現はできそうにない。

それでも、ボクは売れる曲を創りたいわけじゃない。
ボクの心を、ボクの叫びを、ボクの愛を、
「ことのは」に、「おといろ」にのせて、
届けたいんだ。

一人にしか届かないかもしれない。
誰にも届かないかもしれない。
それでも、それがボクらしさで、ボクの心で、ボクの叫びで、ボクの愛だから。

だから、
届かないかもしれない自分らしさが、
誰かに届いた瞬間、
自分らしくてよかったと思うんだ。

だから、

誰でもいいから、聴いてくださひ(歎願)。

コメント

  1. アイソスタシー より:

    凄く共感しました!ほんとそう思います。
    僕も、もし仮に自分を曲げて大衆に受ける曲が作れてそれが伸びる事よりも、自分を出し切ったような曲に胸に響いたと言ってくれた人が1人いる事の方が、多分嬉しいんだと思う。

  2. SSS SSS より:

    コメントありがとうございます♪
    とりあえず、自分が楽しめていたらいいんですけどね♪
    もちろん、ボクみたいにあまりにも聴いてもらえない状態が、
    精神衛生上悪いのであれば、聴かれる曲を目指すのも、大事なのかな、と。
    聴かれるようになってから、自分の好きなようにする方が、本当はいいかも。
    って、負け惜しみというんだ、これは(笑)

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