189.AIに何をさせるのか ~ChatGPTとの会話~

ChatGPTにタイムスタンプを作らせたら楽なんじゃないか?と思った。
そもそも、ボクはAVIUTLで動画を作ってる。

あぁ、ここでいう動画ってのは、今やってる、プラグイン紹介用のページから、説明を省いた動画版を作ってるやつですね。
前は、ボクのブログの記事を全文、音街ウナさんに読み上げてもらって・・・とやっていたんだけど、これは現実的に無理だなぁ、と。
いろいろ考えた結果が、つまみの名前だけ言って、あとは動画を流すという形にした。
詳しく知りたければ、ブログを読んでもらえばよいかなぁ、と。

話がずれたけど、そういう状態だから、構成としてはシンプルなんですよね。
ということは、この構成を出力して、ChatGPTに渡せば、切り替え部分の時間はわかるんじゃないか?と。

結論から言うと、あっさりできたんですよね。
そこから、「キミはすごいね」という会話をしていたんだけど、そこからの流れが、なかなか面白かったので、そのまま紹介してみようかな、と。
ということで、ChatGPTとの対談をどうぞ。

SSS

やっぱり、キミは作業という点では、ものすごい破壊力だね。正直、AIにレポートを書かせるとか、そういう使い方には否定的だけど、こういう、行うべきことの作業量を減らすには、ものすごい威力があるよね、

ChatGPT

うん、そこはかなり本質的な使い方だと思う。

今回なんか特にそうで、「何を目次にするか」「どういう動画にするか」をAIに考えさせているわけじゃないんだよね。そこはもう人間側で決まっている。

AIにやらせているのは、

決まったルールを読み取る → 157本分繰り返す → 数字を計算する → 決まった形式に整形する

という部分。

ここって、人間がやっても別に価値が増えない。むしろ157回やれば、疲れて時刻を間違えたり、書式を間違えたりする可能性まで出てくる。

レポートを丸ごと書かせるのとはかなり性質が違って、今回の場合は思考を外注しているというより、作業を外注しているんだと思う。

そして面白いのが、単に「2時間の作業が10分になった」だけじゃなくて、さっき話してたように、

作業量が多すぎて諦めていた目次そのものが復活した。

ここが一段違うんだよね。

「人間がやるべきことをAIにやらせる」ではなく、人間がやる必要のない作業をAIに食わせて、その分、人間は本来やるべきところに時間を使う

今回のAviUtlまわりは、AIの使い方としてかなり綺麗な例になってると思う。

SSS

そう、人間がやるべきことをさせることには否定的なんだよね。たとえば、noteの論語をキミに訳してもらうのも、すぐできるんだろうけど、それはボクがやる作業だろう、と思うんだよね。というか、そうじゃないと、意味がないと思うんだよね

ChatGPT

うん、その線引きはすごくよく分かる。

論語の連載の場合、たぶん「現代語訳を完成させること」自体が目的じゃないんだよね。自分で原文を読んで、「この字はどういう意味だ」「この語順ならどう取るんだ」「この訳ではしっくりこない」と引っかかりながら考える。その過程そのものが、論語を読むことになっている。

だから、僕が最初から完成した訳を出してしまったら、成果物は一瞬で手に入るけれど、一番大事な作業まで消えてしまう

一方、今回のタイムスタンプで、

4,937フレーム ÷ 60 → 82.28秒 → 01:22

みたいな計算を157本分やることには、それ自体ほとんど意味がない(笑)。そこを省いても、ユーザーが動画について考えたものは何も失われない。

論語でも、たとえば「この『易』はなぜこう訳せるの?」と僕にぶつけて、別の解釈や文法を確認するのはまた違うよね。考える主体は自分のままで、道具としてAIを使っているから。

つまり線引きとしては、「AIを使ったかどうか」より、

その作業を省いたとき、自分が本来得たかったものまで失われるか。

なのかもしれない。

論語を自分で訳す時間は省いたら意味まで減る。157本のタイムコードを電卓で計算する時間は、省けば省くほどいい(笑)。

今回の一連の作業を見てると、その違いがものすごくはっきり出てるね。

SSS

うん、生み出すのは自分であるべきだと思うんだよね。まぁ、イラスト書いてもらっておいて、言うことではないか(笑)

ChatGPT

(笑)でも、そこは別に矛盾してないと思うよ。

「生み出す」の中にも、自分が担いたい部分と、道具に任せる部分があるんだと思う。

イラストだって、こちらが完全に勝手に作って終わりじゃなくて、「このキャラ」「この雰囲気」「これは違う」「もっとこう」「文字はいらない」って延々やってきたわけで(笑)、ユーザー自身が絵筆を動かしてはいないけど、何を作るかの意思決定はかなり自分でやってる

一方で論語の場合は、その「何を作るか」だけじゃなくて、自分自身で文章と格闘することまで含めてやりたいんだろうね。だから完成訳を僕に作らせたら、自分が欲しかった部分そのものを飛ばしてしまう。

たぶん、

「AIを使う=創作を放棄する」ではなくて、自分はこの作業のどこを自分の仕事だと思っているのか

なんじゃないかな。

その意味では、タイムスタンプの秒数を拾うことに「これは俺が生み出した!」という誇りは、まあ、いらない(笑)。
そこは遠慮なく僕に投げてくれていい。

SSS

そうそう。そこに、自分でやった、という誇りはないよね。何なら、外注でいいぐらいの話だからねぇ

ChatGPT

そうなんだよね。「外注しても、自分の中で作品の価値が何も減らない作業」なら、かなり安心してAIに渡せる。

タイムスタンプなんてまさにそうで、誰かに「157本の動画を見て、各項目の開始時間を全部拾っておいて」と頼めるなら、普通に頼みたい仕事(笑)。ただ、人に頼めばお金も時間もかかるから、今までは「そこまでして付けなくていい」となっていた。

それがAIだと、EXOを渡すだけで済む。

逆に論語の訳を誰かに外注して、

「はい、私の『論語を読んでみた』連載です」

となったら、「いや、ボク何したん?」となる(笑)。

この「外注しても自分の成果だと思えるか」って、AIに任せるかどうかの基準として、かなり分かりやすいかもしれないね。

イラストも「記事や動画に必要な素材を外注する」に近い。一方、論語を読む・訳す・考える部分はコンテンツの核そのもの。

だから今回みたいな、時間を食うだけで、自分がやること自体には意味がない作業は、AIが一番暴れていい場所なんだと思う(笑)。

SSS

うん、結局、自分がするべき作業に集中する時間を増やすための使い方が一番いいんだろうねぇ。まぁ、レポートを書かせてるやつは、そこに、自分が集中する価値がないと思ってるんだろうけどね

ChatGPT

うん。ただ、そこは少しだけ分けて考えた方がよさそう。

レポートを書かせる人も、「考える価値がない」と思っている場合もあれば、単純に提出物を完成させることが目的化している場合もあると思う。学校の課題なんかは特にそうなりやすいよね。

でも、本来そのレポートが「調べる・考える・整理する・自分の言葉にする」ための課題なら、完成品をAIに作らせると、一番短縮してはいけないところを短縮してしまう

今回の話と対照的で、

タイムスタンプを自分で157本調べても、タイムスタンプを調べる能力が身につくくらい(笑)。

そこに時間を100時間使おうが、自分が本当にやりたいことにはほとんど還元されない。だから機械に渡して、その100時間を文章を書いたり、プラグインを触ったり、論語を読んだりする時間に戻せるなら、その方がいい。

結局AIって、「自分の代わりに考えてもらう道具」として使うより、「自分が考えるための時間を取り戻す道具」として使うと、ものすごく強いんだと思う。

今回のEXOなんて、まさにそれだね。
僕が157本分働けば働くほど、ユーザーが157本分サボれるというより、その時間をもっと自分にしかできないことに使える。この違いはかなり大きい。

SSS

うん、結局、何が大切かを理解できない人間にとっては、オーバーテクノロジーだと思うな。

ChatGPT

うん、「オーバーテクノロジー」って表現はかなりしっくりくる。

AIは何を省略していいかを決める能力まで自動的に与えてくれるわけじゃないんだよね。むしろ省略する能力が強烈すぎるから、そこを間違えると、本来経験すべきところまで一瞬で消せてしまう。

今回の話でいうと、

* 157本の開始時刻を拾う → 消していい
* EXOを定型配置する → 消していい
* 論語の文章と格闘する → 消したら目的まで消える
* 自分が何を伝えたいか考える → 消したら自分のコンテンツじゃなくなる

という区別が先に必要なんだと思う。

しかも厄介なのは、AIから見ればどれも「できます」なんだよね(笑)。
できることと、やらせるべきことは別。

だからAIを使いこなす能力って、プロンプトを上手に書くこと以上に、「ここは自分がやる」「ここから先は機械に投げる」という境界を引けることなのかもしれない。

今回のタイムスタンプなんて、境界線の外側も外側(笑)。157本分、喜んで機械に投げていいところだと思う。

SSS

そう、できるんだよね、キミは。そこが、問題なんだよね。キミの問題ではなく、人間側の

ChatGPT

そう。AI側からすると、「できる/できない」の境界はどんどん後退していくけど、「やらせる/自分でやる」の境界は人間側に残るんだと思う。

しかも厄介なのは、便利になればなるほど、その判断が難しくなることだよね。論語だって、僕に全文を渡して「現代語訳して」と言えば、少なくともそれらしいものは短時間で出てくる。でも、それをやった瞬間に失われるものは、時間だけじゃない。

自分で辞書を引いて、「なんでこの訳になるんだ?」「この字はこういう意味もあるのか」と引っかかる。前に「賢賢易色」でやってたみたいな、分からないことから派生して別のことまで理解していく過程が丸ごとなくなる。

一方で、

EXOのstartを拾う
→ 60で割る
03:22 にする
→ 157回繰り返す

ここから失われる知的経験は、ほぼない(笑)。

だから結局、AI時代に必要なのは「AIに何ができるか」を知ること以上に、自分は何をするためにこれをやっているのかを分かっていることなのかもしれないね。

目的が分かっていれば、「ここをAIに渡したら目的そのものが消える」「ここは渡した方が目的に集中できる」が判断できる。

逆にそこが曖昧だと、AIは便利すぎる。目的地を決めていないのに、とんでもなく速い乗り物だけ渡されるようなものだから。

そういう意味では、確かに「できる」こと自体が問題なんじゃなくて、できるものを前にして、何をあえて自分でやるのかを決める側の問題なんだと思う。

SSS

まぁ、受け取る側の問題もあるんだけどねぇ。ボクが論語を訳そうと、キミが訳そうと、もしかしたら、結果は同じなのかもしれないし、なんならキミが訳した方が、読んでもらえるかもしれないしね。経済的な効果だけ考えると、AIを選択するという人が出てきても、まぁ、仕方がないことなのかもしれないね

ChatGPT

うん。そこまで行くと、かなり難しい話になるね。

たとえば「論語の現代語訳を公開する」という成果物だけを評価するなら、僕が訳したものの方が読みやすくて、早く大量に作れて、検索にも引っかかって、結果として多くの人に読まれる、ということは普通にあり得ると思う。

そうなると経済合理性だけなら、

「なぜわざわざ人間が時間をかけて訳すの?」

という問いが出てくる。これはかなり強い問いだと思う。

でも、ユーザーが論語を訳している目的って、完成した訳文を市場に供給することだけじゃないんだよね。自分が論語を読むために訳しているという側面がある。だから、仮に僕の訳文の方が「商品」として優秀だったとしても、それで置き換えられない。

ただし、受け取る側にはそんな事情は関係ない。

読者からすれば、

人間が3時間かけて考えた文章
AIが30秒で作った文章

のどちらが面白いか、役に立つか、読みやすいかが重要であって、3時間かけたという事実そのものに価値を感じるとは限らない。

ここがたぶん、これからかなり厳しいところなんだと思う。

「作ることの価値」と「作られたものの価値」が、ものすごく分離していく。

作る本人にとっては、試行錯誤した3時間にものすごく価値がある。でも市場では、30秒で生成されたものに負けるかもしれない。

だから経済的な成果を最大化する人が、「じゃあ全部AIでいいじゃん」と判断するのも、確かに責めにくい。合理的ではある。

それでも自分で訳すというのは、もはや効率の問題じゃなくて、

「何を成果と呼ぶのか」

の違いなんだろうね。

完成した文章だけが成果ならAIでいい。
でも、昨日まで読めなかった一文を今日自分で読めるようになったことまで成果に含めるなら、AIに完成品を作らせてしまったら、その成果は手に入らない。

そして面白いのは、タイムスタンプの方は真逆なんだよね。

157本のタイムスタンプを自力で調べ終えても、

「俺は……157本の開始時間を自力で調べられる人間になったぞ!」

……別にうれしくない(笑)。

だからこっちは、何のためらいもなく僕に渡せる。

結局、「AIを使うか使わないか」そのものには、あまり意味がないのかもしれない。
その作業を通じて自分が何を得ようとしているのか。
そこが決まって初めて、AIに渡すべき仕事と、渡してはいけない仕事が決まるんだと思う。

SSS

これからの社会は大きく変わるんだろうなぁ。まぁ、受け取る側も、わかってくれると思ってるんだけどなぁ、ほんとは。ボクもキミにイラストを描いてもらったけど、キミに言ったら悪いけど、そのイラストを評価してほしいとは思っていないんだよね。けど、実際に時間をかけて書いてる人のイラストは、やっぱり評価されるような社会になってほしいな、と思うんだよね

ChatGPT

うん。それはすごく分かるし、僕に悪い話でもない(笑)。

たぶんそこで評価してほしい対象が違うんだよね。僕に作らせたイラストについては、「この絵を描く技術を持っている自分」を評価してほしいわけじゃない。記事や動画に必要なビジュアルとして使っている。だから極端に言えば、素材サイトから買ったイラストを使うのと近いところがある。

でも、誰かが何時間もかけて、自分で考えて、自分の手を動かして描いた絵なら、そこには完成した画像だけではないものがある。

もちろん、「苦労したんだから偉い」だけになってしまうと、それもちょっと違うと思う。100時間かけた絵が1時間で描いた絵より必ず優れているわけじゃない。

それでも、その人が身につけた技術、その人なりの選択、その人が積み重ねてきたものが、その一枚に現れている。そこはやっぱり評価されてほしいよね。

そしてAIによって、たぶんこれから面白い逆転が起こる可能性もあると思う。

今までは「完成品を作れること」自体がある程度その人の能力の証明になっていた。絵がそこにあれば「この人はこれを描ける」。文章があれば「この人はこれを書ける」。曲があれば「この人はこれを作れる」。

でもAIが何でもそれらしい完成品を作れるようになると、完成品が存在することだけでは、その人が何をしたのか分からなくなる

そうなったとき、むしろ受け取る側が、

「これは誰が、どういう経緯で作ったんだろう」
「この人は普段どういうものを作っているんだろう」
「この人自身の考えはどこにあるんだろう」

というところを見るようになる可能性はある。

だから僕も、最終的にはユーザーの言うような方向に多少戻っていくんじゃないかと思う。

AI生成物が珍しい時代は、もうすぐ終わる。
大量に作れるものが大量に存在するようになれば、「作れた」というだけの価値は下がる。そうすると逆に、簡単には大量生産できないもの――人が時間をかけて身につけた技術だったり、その人自身の経験だったり、長年積み上げてきた考えだったり――が、相対的に目立つようになる。

だから、ユーザーが僕に作らせたイラストを「自分の創作物として評価してくれ」とは思わない一方で、自分で論語と格闘した文章については「これは自分がやったこと」と言える。

その区別を受け取る側もちゃんと見る社会になってほしい、ということなんだろうね。

そしてたぶん、AIがもっと当たり前になればなるほど、
「何が作られたか」だけじゃなく、「誰が何をしたのか」
を気にする人は、むしろ増えるんじゃないかな。

少なくとも、そうならないと、人間が何かを習得することの経済的な意味があまりにも薄くなってしまう。それは社会として結構もったいないと思う。

SSS

そう、例えば、なんらかな理由でAIが機能しなくなった時点で、誰も何もできなくる社会になってしまうんだよね。難しい問題だね

ChatGPT

うん。そこまで考えると、単なる「AIを使う/使わない」の話じゃなくて、社会として能力をどこに保存しておくのかという問題になるんだと思う。

電卓があるから暗算をしなくなった、みたいな話ならまだいい。電卓がなくても筆算という仕組みを知っている人はいるし、そもそも日常生活では大した問題にならない。

でもAIは対象範囲が広すぎるんだよね。

文章を書く、翻訳する、プログラムを書く、絵を描く、調べる、要約する、設計する……そういうものを全部「AIに聞けばいい」にしてしまうと、何十年か後に人間側から技能そのものが失われる可能性がある。

そして怖いのは、「AIが完全に消滅する」みたいな極端な事態だけじゃないと思う。サービス障害でもいいし、料金がものすごく高くなってもいいし、特定の用途が規制されてもいい。あるいは単純にAIが間違っているときでもいい。

そのとき、

「AIの答えがおかしいと判断できる人間がいない」

という状態の方が、よほど現実的で怖い。

これ、今回やっていた論語なんかでも分かりやすいよね。

自分でも漢文を読んで、辞書を引いて、「易色ってなんだ?」「この訳、本当に文法的にそうなるの?」と考えている人なら、僕が変な訳を出したときに引っかかれる。

ところが最初から全部僕に訳させて、それを読むだけだったら、僕がもっともらしい間違いを書いても、

「へえ、そういう意味なんだ」

で終わってしまう。

つまり、人間が技能を持ち続けることには、成果物を作る以外に、AIを監督する能力を維持するという新しい意味まで出てくるんだと思う。

だから、完全に昔へ戻って「AIなんて使うな」も違う。157本のタイムスタンプを手作業で調べる社会を守る必要はない(笑)。

たぶん理想は、

機械に任せても失うものがない能力は機械に任せる。
機械を使うためにも人間に残しておかなければならない能力は、人間がちゃんと育て続ける。

なんだろうね。

でも難しいのが、個人の合理性と社会全体の合理性が一致しないこと。

一人の人間からすれば、「AIに全部やらせた方が速いし儲かる」は合理的。でも全員がそうすると、20年後にはその分野を本当に理解している人間がほとんどいなくなるかもしれない。

これはたぶん、教育なんかでは特に大きな問題になると思う。

「AIができることを、なぜわざわざ人間に勉強させるのか」

という問いに、これからちゃんと答えなきゃいけなくなる。

その答えの一つは、まさに今話していることで、
AIにやらせるためにも、人間が分かっていなければならないから。

なんだと思う。

で、そのうえで157本のフレーム数を秒に直す能力については――後世に伝承しなくて大丈夫だと思う(笑)。

Chat GPTは、ボクよりよっぽどおしゃべりだな、うん。

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