音楽の才能が無くって良かった~2割の負け惜しみと8割の本心~

音楽って楽しいですよね。
「ことのは/おといろ」や「いんすと」を創っているのが楽しくって仕方がない。
まぁ、どれだけ創っても、ほとんど聴いてもらえないんだけど。

で、思うんですよね。
音楽の才能が無くって良かったって。

もちろん、音楽の才能があって、自分の創った「ことのは/おといろ」や「いんすと」をたくさんの人に聴いてもらえて、たくさんの人に好んでもらえたなら、どれだけ幸せだろうと思わないわけではない。
そりゃ、幸せだろうな、と。

とは言え、もしボクに音楽の才能があったとしたら・・・

きっと、ボクは、音楽で生きていこうと思っただろう。
音楽で食べていくんだ、と。

そうなると、当然、常にたくさんの人が聴いてくれる、たくさんの人が好むようなものを創る必要が出てくるわけで。
それって、とっても大変で苦しいんだろうな、と思う。

そんな状況になったら、自分の創った「ことのは/おといろ」や「いんすと」が、再生回数1桁なんてことになったら、大変なことだ。
音楽の才能がないボクは、再生回数1桁でも、それほど困らない。
はっはっはっ、1桁だって、ププッ、なんて笑っていられる。

いや、哀しいですよ、それは。
2割ぐらいは混じりますよ、そりゃ。

でも、本当に笑っていられる。
それは、ボクに音楽の才能がないから。
そりゃ、そうだよねぇ、ってどこかで思ってる自分がいるから。

音楽の才能なんてあったら、苦しみしかないだろうなぁ。
何で、理解できないんだ!って。

もう、このブログで何回も何回も書いてるけど、聴いてもらえないからって、音楽をやめようと思わないのは、才能がないからなんだろうと思う。

やっぱり、必ず結果を出さないといけないというプレッシャーはすごいことだろうと思う。
もしくは、結果が出るモノを創らないといけないというのも、あまり楽しくないことだろうと思う。

そうそう、才能が無くて良いことがもう1つある。
自分の創った「ことのは/おといろ」や「いんすと」を純粋に楽しめるんですよね。

音楽の才能がないから、何処が悪いかが、全然わかんないの。
ボクは、自分の創っているものに不満がなくて、いつも、ボクの新しい「ことのは/おといろ」や「いんすと」が楽しみでしかない。
自分の創ったものを、有名ボカロPさんたちの曲と並列で聴いていられる。

やっぱり、全然違うなぁとは思うんですよ。
けど、どこがどう違うのか、それほどよくわかってないから、改善のしようがないんだよね。

何でもそうなんだろうけど。

ボクは味覚がそれほど敏感でないから、何を食べてもおいしくいただける。
聴覚も同じで、それほど敏感ではないから、きっとそれほど良いものを創れないのだろうけど、自分の創った「ことのは/おといろ」たちで、十分楽しめる。

何度も書くけど、2割ぐらいは混じるんだよ。
誰にも聴かれなくってもよいと、思ってるわけじゃないんだよ。

だから、たまにボクの「ことのは/おといろ」たちを聴いてくれる人がいたら、跳び上がるぐらい喜ぶし、コメントなんてもらえたら、飛び上がるぐらい喜ぶ。

音楽の才能がある人は、きっとボクが見ている景色よりももっと素晴らしい景色が見れるんだろうけど、つらさ、しんどさ、大変さも、ボクが感じるレベルじゃなく大きいんだろうなぁと思う。
結局、そこまでのことを求めていないということだし、そこまで求めないことで楽しめる人もいるってことですね。

勘違いしないようにしてほしいんだけど、そこまでを目指すことが悪いと思ってるわけじゃないですよ。
とても尊敬してるし、ずっとずっと、良いモノを生み出し続けてほしいと思うし、そんな人たちの曲を聴き続けたいと思ってるんですよ。

ただ、ボクには無理だろうなぁ、ってだけで。

音楽で有名になりたい人、音楽で生きていきたい人、音楽にそこまで求めていない人、色々な人がいていいんだと思うんだよね。

ただ、こんなボクが、胸を張って言えること・・・

音楽って、楽しいですよね。

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